長野県松本市の飯田屋飴店です。飴菓子のあめせんべいが大好評です。 

 

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長野県 松本市 飴 の 飯田屋 「牛つなぎ石」 画像
長野県 松本市 飴 の 飯田屋 「松本飴物語」

武士の手習い

飯田屋飴店にはこのような言い伝えがございます。
信濃国松本藩第6代藩主。沼津藩水野家6代であった水野忠恒が享保10年(1725年)、大垣藩主戸田氏長の養女(戸田氏定の娘)を娶り、その祝言を行なった翌日の7月28日、征夷大将軍徳川吉宗に婚儀報告をするため江戸城に登城して報告を済ませました。
その後、松の廊下ですれ違った長府藩世子(後に7代藩主)の毛利師就に対して刃傷沙汰を起こしてしまう。忠恒は不行跡が多く、家臣に人気がないので、自分の領地が取り上げられて師就に与えられることになると思ったので切りつけたと供述したが、実際にはそのような事実は無く、乱心したとされ忠恒はその罪で改易となり不祥事により改易を命じられました。
武士としてお上に仕えていた初代店主伊藤伊佐治もまたその影響により改易をされ、一般庶民として扱われることとなってしまったのです。しかし、生きていくためには武士としてのプライドを捨てざるを得ません。伊佐治はまず米の管理をする仕事を始めましたが、うまくいかず酒屋を始めたのでした。当時米は飴の原料にもなっていましたので、伊佐治は試行錯誤の末、飴屋を開業することにたどり着きました。それが現代まで脈々と引き継がれ、九代目に引き継がれていると言われております。

長野県 松本市 飴 の 飯田屋 「福飴」 画像松本の飴には物語がございます。
松本地方には一月から二月にかけて「あめ市」というお祭りが各地で盛大に催されております。
「あめ市」の紀元は、約四百年前の「塩市」にさかのぼるといわれております。
さて、時は戦国時代、当時武田領であった信濃の住民は、駿河の国の今川氏・北条氏らと敵対関係にあり、塩の供給が困難を極めておりました。
信濃の住民が苦しむ姿を見た、越後の上杉謙信は、敵対関係にあったにもかかわらず、日本海の塩を信濃の住民のために送ってくださったという美談が残されております。
「敵に塩をおくる」という言葉は、この史実にもとづくものだとされております。
その義塩が到着した永禄十一年(1569年)一月十一日から毎年「塩市」が開かれるようになり、いつしか松本地方で盛んであった飴づくり「あめ市」がひらかれるようになり、現在でも各地でにぎわいわいせております。
松本地方は、アルプスの山々にかこまれ、たいへんすんだ乾燥した気候的風土にあり、明治時代には、飴の生産高が日本一であったとも言われております。
此のような、歴史・文化・気候の恵まれた信州松本で二百有余年飯田屋の飴づくりが行われております。
手作りの技を大切にし老舗の味をお届け致します。 (※上の写真にマウスを乗せると切り替わります)

長野県 松本市 飴 の 飯田屋 「牛つなぎ石」

武田信玄の軍が塩不足に陥り、敵方の上杉軍が塩を送ってきたときに, 「義塩」を引き取りに使いした塩屋の一行が千国街道南下し、甲斐の領地であった松本(現長野県松本市)に到着し、町の一角に牛をとめたのはが、永禄十一年一月十一日でした。
現在松本市中央一丁目交差点に、この牛をつないだ石が、義塩の取り引きに関する碑文とともに「牛つなぎ石」として残されています。
明治以降には、富山から鰤(ぶり)を運んだ牛や、新潟から送られる塩を運んだ牛をつないだとも伝わっています。

長野県 松本市 飴 の 飯田屋 「牛つなぎ石」 画像
 当店がHanakoをはじめ、多くの書籍で紹介されました!
長野県 松本市 飴 の 飯田屋 「会社概要」
商号 有限会社 飯田屋製菓
所在地 〒390-0874
長野県松本市大手2-4-2
TEL : 0263-32-1983
FAX :0263-32-1336
E-Mail :masayuki1796@iidaya.com
創業 寛政8年
店舗運営責任者 伊藤 雅之
長野県 松本市 飴 の 飯田屋 「アクセス」

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■所在地:〒390-0874 長野県松本市大手2-4-2
■交通案内:JR松本駅より8分、松本ICより10分
■営業時間:9:00〜18:00(不定休につき、ご来店の際は下記のダイヤルまたアドレスにてお問い合わせください。)
TEL : 0263-32-1983 FAX : 0263-32-1336 E-Mail :masayuki1796@iidaya.com
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